1995年の阪神・淡路大震災は、神戸生まれの私にとって、
生涯に経験するであろう国内最大の災害だと思っていました。
つい1週間前までは…。
その時私はさいたま市の自宅にいました。
19階建てマンションの10階で、やや恐怖を感じるくらいの大きな揺れ…。
情報を得ようとTVをつけて、身動き出来なくなってしまいました。
「地震」の恐ろしさもさることながら、「津波」の脅威です。
あの時の映像は一生忘れる事が出来ないでしょう。
仙台市若林区に住む、妻の母と妹夫婦やその家族、
仕事でお世話になった仙台の皆さんの安否、コンサートで伺った東北の町の様子など、
次々に不安がよぎりました。
その後、かろうじて難を逃れた義母たちや、仙台フィルの皆さんの様子を知る事が出来、
ひとまずほっとはしたものの、
あまりにも甚大な被害の実態が次々と明らかになるに伴い、
なんとも言えない重苦しい気持ちに襲われました。
月曜日(14日)からは、
名古屋フィルとのリハーサル(若いソリストの皆さんと共演する日演連のコンサート)の為、名古屋へ。
当日の早朝、都内のJRがいきなりストップするという混乱の一日です。
たまたま早起きをしてTVをつけていたので、その様子を知り、大宮駅まで徒歩で向かい、
その後かろうじて運行をしていた上越・長野新幹線と東海道新幹線を乗り継いで名古屋に着きました。
16日のコンサートを無事に終え、翌17日に帰宅。
原発の現実と計画停電、そして物不足が待ちうけていました。
…これが、この1週間の出来事です。
これから日本はどうなっていくんだろう…。
いったい自分に何が出来るんだろう…。
あまりにも大きな課題がぐるぐると頭をめぐっています。
でも、立ち止まってはいられません。
私は音楽家ですので、音楽で皆さんに勇気と希望を持っていただきたいと願っていますが、
先ずは音楽家である以前に、1人の人間として、
目の前の小さな事から一つ一つ実行していこうと決めました。
こまめに電気を消します。無駄な買占めはしません。
街頭の寄付にも出来るだけ応じます。
まだまだ、たくさんあると思います。
先ずは皆さんも、身近なことから始めましょう!
被災地との距離が遠い皆さんも、是非是非ご協力下さい!
がんばりましょう!
このたびの災害によりお亡くなりになられた多くの方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、
被災地の皆様には心からお見舞い申し上げます。
竹本泰蔵(2011年3月19日記)